イギリス軍 軍服図鑑

歩兵
戦列歩兵(Line infantory)

イギリス陸軍はナポレオン戦争を通して最も最良の軍隊の一つといわれてますが、その実情は大変お粗末なものでした。革命戦争やナポレオン戦争中にフランスやオランダに遠征に向かっても、指揮官の無能や病気などによって大損害を出しました。


ナポレオン戦争中にイギリス軍は20万の陸軍を編成しますが、実際にナポレオン軍と戦ったのは半島戦争における4万規模のイギリス軍のみでした。彼らは少数ながら、現地のフンタ(義勇軍)と協力してフランス軍をスペインから駆逐します。しかし、フランス軍と戦ったイギリス軍でさえ、必ずしも現地の民衆に歓迎しされたわけではありませんでした。


イギリス軍は1815年にワーテルローで再びナポレオンと戦います。3列による横隊を基本隊形としていましたが、この陣形はフランス軍の密集陣形に簡単に突破される危険性もありました。しかし、その弱点を一糸乱れぬ一斉射撃による火力の増大で補い、ついには無敵の近衛軍団も敗走させました。
軽歩兵(Light infantory)

軽歩兵は本隊の前面に散らばって、主力部隊の援護に当たりました。
これはアメリカ独立戦争のアメリカ軍との戦闘で身につけた戦い方でした。

イギリス軍は、フランス軍が優勢であった半島戦争前半においては、内陸まで進出しないで、フランス軍を攻撃したらすぐに海上の輸送船へと逃れました。

あまり内陸にとどまると、少数で訓練の行き届いていないイギリス軍は包囲殲滅される恐れがあるからでした。この戦法は有効で、兵力の温存に役立ち、さらに"イギリス軍は臆病者""フランス軍と戦う資格はない"という間違ったイメージをナポレオンに植え付けました。
これもアメリカ独立戦争で学んだ戦法でした。
左より、戦列歩兵・ライフル兵・軽騎兵です。

アメリカ軍のライフル兵は、独立戦争において密集陣形を組んだイギリス軍を散々苦しめます。彼らはマスケット銃よりも命中精度の高いライフル銃を装備していました。

イギリス軍も1797年にライフル部隊を編成して革命戦争・ナポレオン戦争に投入します。彼らは名銃ベイカー・ライフルを持っていました。1815年のワーテルローの戦いではウーグモン城館に立てこもって、ナポレオン軍の攻撃を阻止しました。
擲弾兵

イギリス軍の大隊陣形は横隊を基本としており、側面がめっぽう弱いものでした。
そのため精鋭である擲弾兵が側面を固めて本隊の援護を行います。

半島戦争のイギリス軍も資金や物資の不足からスペインで略奪行為を働きます。
ウェリントン将軍も美術品等、戦利品の収集に熱心であり、フランス軍から奪い返した美術品を自分のものにしていました。そのためゴヤから「虚栄の塊」と非難される始末でした。

ハイランダー兵

スコットランド人によって編成された。イギリス軍中でも最精鋭の部隊。
伝統衣装であるキルトを身につけています。
頭にはガチョウの羽飾りをつけてシンボルとしました。

ちなみに下着はつけないよ。
騎兵
軽騎兵。

軽竜騎兵(Light dragoon)

竜騎兵は胸甲を身につけていませんでしたが、重騎兵なみの武装を持った使い勝手のいい兵種でした。イギリス軍はそんな竜騎兵を重・軽2種類に分けて役割を分担化しました。

軽竜騎兵は機動力を生かして散兵戦を行いました。
重竜騎兵(Heavy dragoon)

重竜騎兵は重騎兵のように突撃戦を行いました。
絵は近衛竜騎兵のドラグーン・ガードです。

半島戦争やワーテルローの戦いではフランス軍の歩兵に壊滅的打撃を与えました。
近衛騎兵(Life guard)

イギリス軍の近衛騎兵は

ライフ・ガード
ホース・ガード
ドラグーン・ガード
スコッツ・グレイ

という4つに区分されていました。
近衛騎兵(Hose guard)

彼らは重騎兵として突撃戦を展開しました。
その破壊力は凄まじいものでしたが、胸甲を身につけていなかったために防御力には難がありました。
近衛騎兵(Scots gray)

スコットランド人で編成されたこの騎兵部隊は連隊全員が葦毛の馬に乗っていました。
海軍
イギリス海軍 提督 (The Royal Navy, Admiral)

艦隊を指揮する際には、通常、前衛・中衛・後衛の3つの小艦隊に分けました。
前衛と中衛を中将が指揮して、後衛を少将が指揮しました。

艦隊を指揮する際には旗艦から旗をたてて全艦隊に命令を出しました。
艦長 (Captain)

艦長は一隻の船を任された、移動要塞の長でした。
彼らは狭い船において500人以上の統括しました。
狭い船での単調な生活にストレスをためた水兵たちは不満を漏らしたり、いざこざを起こしたりしますが、艦長は厳しい軍規によってそれを抑えました。
大尉 (Lieutenants)

20歳くらいの試験をパスした士官候補生たちがなりました。
白兵戦になると彼らは戦闘隊長として戦いました。
また水兵を集める強制徴募もおこないました。
士官候補生 (Midshipman)

裕福な家庭や貴族の子弟たちからなっていました。
学校や船で航海術や天文学など航海に必要な知識を学びました。

水兵 (Sailor)

水兵は彼らの技量によってマストの操作、錨の固定、大砲の操作などをおこないました。
また一つの船に乗り続けるわけではなく、航海が終わると別の船に乗り込んで新たな航海に向かいました。

彼らはブルージャケットを好んで着用していました。
これは主計官が支給する服で、制服ではありませんでしたが、多くの水兵が着用していたために準制服として扱われました。
イギリス海軍は1857年にようやく制服を導入します。
キャビン・ボーイ(Cabin Boy)

彼らはおもに清掃に従事した雑用でした。
おもに貧しい家庭や犯罪者、浮浪者の子供から集められました。
戦闘の際には火薬を運んだりもしました。

マッセナ元帥もこのキャビン・ボーイとして商船に乗り込んでいた経験を持ちます。
海兵(Marine)

イギリス海軍の海兵隊は陸軍のそれと装備は変わりませんでしたが、マスケット銃は狭い船上で使うのに適したように短いものを使っていました。

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